やけに心地よい風が頬をきっていった。青々とした木々が風に揺られて、私に手を振るようにして囁きあっている。
ざざざ。
彼らはなにをいっているのだろう。
私はしばらくのあいだ、木漏れ日をうけながら原っぱに寝そべり、日本晴れの空を眺めていた。
先程まで吹いていた風が、寝ころんでみると、そよ風みたいに心地よく感じられた。寝ころんでみれば、どんな風もそよ風になる。
私は晴れやかな気持ちになって、そのままうたた寝でもしてしまいそうになった。これは、そんなときに書いた〈私の聖書〉である。
※
堕ちていけばいい。
自然と零れ落ちてゆく心に身をまかせて、のらりくらりと、生きていく。そんな生き方をしていくことが、最も心地よい生き方なのではないかと、そう思うようになった。
心が満たされていくにつれ、少しずつ書けなくなっていく自分を観察しながら、ふとそんなことを考えていた。
社会通念的な道をあゆんでいくことは、一般的に〈昇っていく〉ような感覚がする。義務教育から始まり、高校大学を経て、社会に出ていく我々が進む道には、乗り越えるべき幾多の障壁があるのだ。
しかし、私はいいたい。
昇っていった先に、いったいなにがあるのかと。
あともう少しで頂上だからと、いったいどれだけのあいだ、人は山を登り続けてきたのだろうか。
どこまで登ればいいのだろう。
昇った先に、何がみえるのだろう。
堕ちていく。
暗闇の底にみえた、おぞましい高熱をかんじた谷底にひたって感じていたのは、心地よい〈私らしさ〉というものだった。
荒波にのまれ、突風に吹き飛ばされてしまいそうになっていても、寝転んでしまえば、あれは単なるそよ風に過ぎなかったのだ。
谷底へ堕ちて、私は〈私らしさ〉というものを手に入れた。
手に入れたというよりは、取り戻したのだ。
どう抑え込もうとも、私は私にしかなれないのだろう。
仕方がないな。これからもよろしく頼むよ。自分。
※
いまの私に必要なのは、〈知性の解体〉に他ならない。
自分のなかに存在している化け物を飼いならすために、あるいは理性ではなく、生々しくうごめく自我をもう少し前にだして、生きていく。
機械学習的にあたまのなかをお洒落にしていっても、現実世界は彩り豊かにはならないのだ。
あぁ、人間。あぁ、人間。
そうだ。私は人間なのだ。まだ失格していない。
※
心地よい上昇というものは、堕ちていくことに他ならない。
向上心は否定しなくても良い。否定するいわれはない。
しかし、これだけは断言できる。
心地よい上昇というものは、堕ちていくものだ。
そうして意識を〈今・此処・我〉の一点に集中させていく。
なにかと躓くときには、それぞれが〈過去・未来〉〈他者〉に逸れているときだ。黙って自分のことに集中する。それしかない。
※
暮れていく夕陽をおいかけて走っていた。私はあのとき、いくつだったのだろうか。随分と昔のことだから、とうに忘れてしまった。
じんわりと溶けていくバニラアイスを眺めていると、いつのまにか午前零時を過ぎていた。私はまだ、生きている。まだ、失格していない。
私もひとり、存在を与えられた無慈悲な生命なのだから、まぁ、せいぜい、緩やかに生きていこう。そうおもえた夜だった。やけに星が明るい。
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